大エルミタージュ美術館展 オールドマスター西洋絵画の巨匠たち

2017/3/18(土)〜6/18(日)休館日5/15(月)

森アーツセンターギャラリー 六本木ヒルズ森タワー52階 〒106-6150 東京都港区六本木5-10-1

コラム「エルミタージュ浪漫」

〈第1回〉大帝が開けた「ヨーロッパへの窓」

 この街の空は広い。
 エルミタージュ美術館のある街、サンクトペテルブルクを訪れた人の多くは、そう思うのではないだろうか。

 帝政期ロシアの面影を色濃く残す街の中心部には、高層建造物がほとんどない。かつて皇帝の住まう宮殿より高い建物が制限されていたことの名残りだという。
 それゆえ見通しのいい場所に立つと、空がより広く感じられるのだ。

サンクトペテルブルクのメインストリート、ネフスキー大通りサンクトペテルブルクのメインストリート、ネフスキー大通り

 ネヴァ川河口の三角州に、この街を建設したのは、ロシアを近代化に導いたピョートル大帝だった。「聖ペテロの街」を意味する街の名も、大帝と同名の聖人ペテロにちなんで付けられた。
 創建の日は1703年5月17日と、はっきりしている。最初の要塞の工事が始まった日付だそうだ。その頃の日本は元禄時代。赤穂浪士の討ち入りがあった頃だ。

 このあたりは当時、荒れ果てた湿地で、街をつくる過程は、たいへんな難工事の連続だった。それでも道路、教会、病院、役所、造船所などをまたたく間に建て、1712年には首都機能をモスクワより移した。

 賢明なるピョートル大帝が、それほどまでして新しい都をつくったのは、ここがバルト海に面しているからだ。海の向こうには、ドイツやデンマークといったヨーロッパ諸国がある。若い頃に西欧諸国を旅した大帝は、先進的なヨーロッパとの交流を盛んにし、国を発展させようとした。ロシアの文豪プーシキンは、そんな大帝を「ヨーロッパへの窓を開けた」と評した。

 ピョートル大帝の肖像は、街のいたるところで見られるが、最も有名なのは、元老院広場にある「青銅の騎士」像であろう。街のシンボルのひとつで、結婚式をあげたばかりの新婚夫婦や観光客が入れ替わり記念撮影をしている。

元老院広場の「青銅の騎士」元老院広場の「青銅の騎士」
鉄道の駅でも、ピョートル大帝の胸像が迎える鉄道の駅でも、ピョートル大帝の胸像が迎える

 騎馬姿の大帝は、ネヴァ川の方向をじっと見据える。その先にはバルト海が広がっているはずだ。はるか彼方の海上でわきおこった雲は、ゆっくりと街の上空に流れ込み、大帝の頭上を通りすぎる。
 街はまさに、西欧からの風を受けているのだった。

 

(このコラムでは、エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルクの逸話を紹介していきます。)

■菅谷淳夫 プロフィール
美術ライター。アート関連のほかにも、旅、鉄道、評伝など幅広い分野の記事を執筆。
『小学館版 学習まんが人物館 レオナルド・ダ・ヴィンチ』のシナリオを担当。

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